Tuesday, June 3, 2008

urara ... the name of rose




rose.

named " urara ".












finally, faced to me.

rose is special to me.



Ⅰ will make some rose sugar.






from my childhood,


Ⅰ'm so interested in plants.


especially , flowers and herbs.






watering to the plants around the garden , and reading books ,


sometimes very hard , but Ⅰ learn many important matters.



..... time goes by...


温暖化の影響で、夏の日差しは、痛いほど厳しく、

ほんの1日、庭の水やりを忘れただけでも、植物は枯れる。

水も貴重である。

水をあげられる状況の日本で有難いと、しみじみ感じる。

先日、テレビで、海外の枯渇した荒地を観た。

アメリカのある州では、水不足の為、庭に水まきすら禁止されている。

作物にすら水をあげられず、枯れ果てている葡萄畑を観た。

枯れてミイラ化した植物を見るのは、とても胸が痛い。

。。。


日本は島国である。

だから、諸外国での出来事に対して、かなり傍観者的になっている。

私自身、海の向うでの出来事に対して、もっと真摯にとらえたいと思う。

他人事のように思っている場合ではない状況だと思う。

自分の出来る範囲の事から、少しずつ、

この、温暖化というとてつもない課題を、何とか改善したいと本気で思う。


。。。


昔は土だった部分。

便利というだけの理由で、コンクリートやアスファルトを張り詰めた。

だから、とてつもなく熱を含み、熱い。

本当に必要な部分にだけ、舗装すれば良いと思う。

一般道の舗装を、引っぺがすことはいくら私でも違法なので出来ない。

だから、家の庭の、以前土だったが、コンクリートを貼ってしまっている部分を、

業者さんに頼んで、少し、引っぺがしました。


。。。


ガガガ、ガガガ  と ものすごい音がした。


丸くひょっこりと顔を出した土の部分。

そこに、少し、カモミール等のハーブを植えた。


張り詰めていたコンクリートをほんの少し取り除いただけなのに、

とても、呼吸できている感じがして、すがすがしい。

そもそも何でこの部分にコンクリートを貼ったのか。

以前は、大きな木を植えていた。






大きな柘榴の木があり、程よい木陰になり、下草には、茗荷などが生えていた。

土は、適度な湿度をおびていたので、雪ノ下や、タニワタリがとても素敵に育っていた。

真夏でも涼しかった。

確か、小学生の頃まではそうだった。

あれから数十年。。。

この、日本の片隅のちっぽけな過疎の町にも、

温暖化の影響は忍び寄っている。

皆、あんまり気がつかないのか。

それとも、気づいていても、どうしようもないから気づかないフリをしているのか。

。。。


荘厳だった松林は、今では、松くい虫等の影響と、管理放置したけち臭い町政のダブルパンチで、

ひょろひょろとした松が、ランダムに立ち並ぶだけである。

ここ数年、大きな台風に直撃されていないから、まだ、有難いが、

たまたま直撃されていないだけで、今年はどうなるか分からない。

そして。。。


しのびよる海面。


昔の頃の写真と見比べても、明らかに、波打ち際は、かなり近寄っている。


防波堤からかなり遠方が波打ち際だった。

今は、もう、すぐ近くに波打ち際が来ている。


皆、こんな事実、分からない筈がない。

でも、誰も、何も、言わない。

時折、近所の人と会話する。

そして、いつも、私はそういう類いの話をするんだけど、

結局、忍び寄る波打ち際をどうしたら普通に戻せるか。。。なんて、

抜本的解決策はすぐには出てこないんですよね。

。。。


だけど、このまま、なすがままにしているのは嫌なので、

私は、私なりに、温暖化に抵抗してゆこうと思う。

それは、ある面、近代化から逆行する行為かも知れず、

ご近所さんからは笑われるかも知れない。

でも、そんなこと、知ったこっちゃないのだ。

そもそも、コンクリート敷き詰めて熱い熱いとクーラーガンガンかける事自体、理不尽な行為だと思う。

熱いのなら熱くないように工夫すれば良い。

そして、工夫は、何も大規模でなくても良いのだ。

個々人、出来うる範囲から、温暖化への抵抗は出来る。

大それた事でなくて良い。

ささいな、日常における、ちょっとした気づき、や、行動から、

少しずつ変化してゆく。


。。。


人間は、呼吸できないと、間違いなく死ぬ。

酸素がないと生きてゆけない。

水も、太陽も、温度も、勿論大切だが、

基本、まず、呼吸確保でしょう。



そもそも、酸素を作ってくれているのは、誰か?

小学校の理科で習う。



植物の光合成。





このレベルの事が一番大事だと思う。

大それた京都議定書も、充分大事だが、

基本、植物の光合成をどこまで尊重しているかという事なのではないかな。。。

。。。


呼吸は、当たり前の行為と思っているから、

なかなか、その恩恵について認識はしない。

もう一度、当たり前と思っている部分について、

基本に戻って考えてみるということを、してみたい。


。。。


たった1つぶでも種をまき、育てる心を大切にしたいと思う。


人間が最も優秀であると、誰が決めたのか。

誰も決めていない。

それなのに、勝手に思うままに、樹木を伐採し、山を崩し、コンクリートを張り詰めてきた。

植物は動けない。

言葉も発せられない。

だから、黙って、人間のなすがままにされてきた。

そして、その結果が今の状況である。

だから、諸々、全て、自然からのしっぺ返しであると私は思う。

本当にそう思う。

何とかしなければならないと本当に感じる。

少しでも自分の出来る範囲で、自然という存在を大切にしてゆきたいと思っている。

畑は、草ぼうぼうで、ジャングルみたいになってきました。






でも、これでいいんです。

草すら生えない土地は、砂漠と同じ。

数十年前と比べたら、土の感じも変化しました。

土の勢いも大事。

土も疲れてきている感じもしますね。

自然が疲れていては、居住している私達人間も疲れます。

もっと、色々と考えて行動してゆかないといけない。

そういう大事な局面に来ているのでしょうね。

畑の一角には、ヘリアンサス・ゴールデンピラミッドが

群生しています。

孵化したばかりの蝶が、花にしがみついていました。

ヘリアンサスも増えすぎて困っていますが、

引いて捨てる事も忍びないのです。

この場所は日当たりが良いので、

本来は、夏、ズッキーニを植える場所なんです。

苗をそのままどこかの場所に植えようかな、と思っていた矢先に、

地元の新聞で、この花が、増えすぎて困る種類の花。。。と書かれていた。

太陽の照り返しを防御しれくれている植物なのに。。。

一方的な人間の都合だけで、いい花、悪い花という風に決められては、

花もいい迷惑だと思う。

殺伐とした場所に植えたらいいと思う。

殺伐とした場所は、そこいら中にたくさん点在している。

しかし、殺伐とした場所に、のこのこ植えに行く勇気と体力も必要だ。

近いところで、ころあいの場所を見つけよう。

花は乾燥させて、お友達のmolaちゃんと作る石鹸に入れます。


籠にたくさん収穫して、

花弁だけを取りました。


子供の頃に戻った感覚で、

花弁を取る作業は、楽しかったです。





ヘリアンサスには、

ちゃんと石鹸に入れて大事に使わせてもらうからご免ね。。。という気持ちです。

。。。

今朝、AMDの、ecobobbingというのを見つけた。

AMD eco bobing 



楽しそうなので、貼り付けてみます。

晴れてきたので、少し畑に行ってきます。

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